草川信さん、近藤 朔風さん

おはようございます、今日は2月14日、バレンタインデイですね。

♪夕焼け小焼けの 赤とんぼ おわれて見たのは いつの日か〜♪

 日本人ならだれもが知っている童謡「夕焼け小焼け」の作曲者、草川信さんは、1893年のこの日に、信州は長野の善光寺の近くで生まれました。1913年に東京音楽学校に入学し、バイオリンとピアノを学びますが、そのときのピアノの師が、「靴が鳴る」や「雀の学校」の作曲者として知られる弘田龍太郎さんでした。その弘田さんとの親交から、卒業後、東京で教員をしながら雑誌「赤い鳥」の童謡運動に参加しました。1921年に「夕焼け小焼け」を作曲して、童謡作曲家として一躍有名になります。その後も「ゆりかごのうた」や「どこかで春が」など、バイオリン奏者らしい流れるような旋律による、親しみやすく印象深いメロディを多数生み出し、1948年9月20日に亡くなりました。
 幼少のころの草川信は、後に自身が著書「想い出の記」に記したように、とてつもない腕白坊主だったとか。ドジョウを取ろうとして田んぼの畦に穴をあけ、水を滝のように流れ出させてしまって田んぼの持ち主にこっぴどく怒られたり、おつかいで酒を買ってきた少年の酒瓶を割って泣かせたり、大石を背後の山から転がしてお寺の屋根に穴を空けたり、ほうきの柄でオルガンの鍵盤を力いっぱいグリッサンドし、黒鍵をすべて折ってしまったり……。とても後のゆったりとしたメロディからは想像もできないエピソードばかりですが、そんなやんちゃな少年時代の想い出を曲に投影しているからこそ、彼のメロディは、聴く者にどこか懐かしい、望郷の念を呼び起こさせるのでしょう。

そして近藤 朔風さん(1880年2月14日〜1915年1月14日、兵庫県出身)誕生日を迎えました。東京外国語学校卒後、多くの歌曲を訳し、犬童球渓さん、津川主一さん、緒園凉子さん、堀内敬三さんらと並んで翻訳唱歌、翻訳歌曲の定着に貢献しました。明治42年の『女聲唱歌』(天谷秀さんとの共編、ピアノ付き全25曲)に「ローレライ」他を発表し、それまで作詞に近かった翻訳唱歌に訳詞を本格的に持ち込みました。お陰で外国の曲で日本の詩の良い歌が沢山歌われています。
主な作品にはローレライ、野ばら、シューベルトの子守歌などがあります。