北原白秋さん

明治18年1月25日の北原白秋さんが誕生しました。
日本一童謡に貢献をした人を挙げよと言ったら、ベスト3の中に必ずこの人の名前が出てくるでしょう。それほど大きな功績を残した国民的詩人について、私が述べる事は何もありません。
しかし詩人や作詞家が生み出す味わい深い言葉の数々は、その人となりや人生そのものがにじみ出るものです。命をかけた言葉でなければ、決して人の心は打たないのでしょう。
ここでは白秋さんの身近な一面だけご紹介します。

大学時代から頭角を現し、その後も常に文壇の話題の中心を占めさらに名声を高めていく中で、人妻の松下俊子さんと出会います。そしてその人妻との激しい恋愛事件で人気絶頂の名声を一気に失っていきます。やっと手にした苦しい結婚生活もやがて破綻します。この孤独な苦境を救ったのが江口章子(あやこ)さんとの静かな田園生活でした。

葛飾閑吟集』の序文「真間の閑居の記」に、「大正五年五月中院、妻とともに葛飾は真間の手古奈廟堂の片ほとり、亀井坊といふに、仮の宿を求む」と記しています。
葛飾の真間の手児奈が跡どころ その水の辺のうきぐさの花」その当時の歌です。
真間の手児奈といえば市川ですね。その当時はのどかな田園地帯だったのでしょう。
亀井院の裏庭には、棗の花が咲き、その左手には手児奈が水を汲んだと伝えられる古井戸があり、ここで二人は顔を洗い、米や野菜を洗ったのでしょうね。

その後、南葛飾郡岩村三谷(現、江戸川区)に移り、「紫烟草舎」を興しました。「紫烟草舎」はのち、江戸川の改修工事にかかることになり、市川市が昭和44年に持ち主から寄贈を受け、国府台の里見公園に移築しました。現在、亀井院と「紫烟草舎」前に歌碑があり、4月のさくらまつりに合わせた「紫烟草舎」の公開などを行なっています。